2010年12月1日水曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories       “ 今、この場所 ”



実家を離れて、
はじめての暮らしは、
“やなぎえいさく方 D号室”から、
はじまった。

お風呂なしの
家賃は2万円。

やなぎ老夫妻の
家の敷地内にある
2階建て6棟の部屋のひとつで
Aから、Fまでの部屋番号がついており、
私は2階のD号室。

最寄り駅は
代々木上原で
表参道の職場に
とても便利な場所であった。

今はわからないが、
当時は,
庶民的な商店街があり、
また、
すぐ近くには
有名人の豪邸もあるような
そんな街だったように
記憶している。

仕事が忙しく、
寝に帰るだけのような毎日で、
今思えば、
20代前半の女の子が住むには
かなりきびしい部屋だったように思うが
とくに不満もなく、
とにかく必死で、
東京になじもうとしていた
そんな
日々だったように思う。

当時の思い出で
他の部屋に住んでいた
デザイナーをめざしている
中国人の女の子と
一階と二階をつなぐ
階段に腰掛けて
缶ビールを飲んだ事があった。

その階段は
とても薄暗かったけれど
見上げると
東京の
キラキラ輝く
街のライトが
様々な角度で
冬空に舞っていた。

いつかきっと、
あのキラキラに
たどり着こう。


その後、
独立してからは
住居と仕事場が
一緒になったり、
離れたり、
ひたすら仕事のために
場所を転々として
今回で
8回目の引っ越しだ。


2010年、12月1日。

今、
京都で
一番熱いといわれる
四条烏丸に
オーヴルビューティーアカデミーを
オープンした。


ジャンプも
スキップも
しない。

ステップを
ふむのだ。

今までと同様
ステップを
ふんでいくのだ。


薄暗かったからこそ
キラキラを
夢見た。

“やなぎえいさく方 D号室”
があったからこそ、

“ 今、この場所 ”
があるのだ。

2010年11月30日火曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories       “アンアントロワゼロ、で、ポンポン"



愛しい人をなくしたときの
心の傷みは、
一体どんな風だろう。

とてもやりきれなくて、
悲しくて、
せつなくて、

運命を感じて。
今を見つめて。

瞳の色がふかくなり、
呼吸がゆっくり重なって。

受けとめられない現実を、
必死で受けとめようとして。

こらえきれない
あふれる泪は、
のんでも
のんでも
のみきれない。

愛しい人をなくした人に
何を言えばよいのだろう。

慈愛や悲嘆、
それとも
励ましや希望、
一緒に泣けばよいのだろうか。
抱きしめればよいのだろうか。


私は、肩をたたこうと思う。
ただ、横にいて
肩をたたこうと思う。

ポンポンと、
温かい手で。
ポンポンと、
生きているこの手で。

アンアントロワゼロ。
アンアントロワゼロ。

大人になってからできた友人に贈る
ささやかな
おまじないは、
アンアントロワゼロ、
で、ポンポン。

温かく
肩をたたきあって

生きてゆこうよ。

生きてゆこうよ。

2010年10月10日日曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories      “ほめて幸せ”



人をほめるのが好きだ。
その人の、良いところを、
見つけていくのが
大好きだ。

その人自身が、
以外にも
自分の良いところに
気付いていない。

ある人は、
横顔からみえる鼻の角度が
彫刻刀でそいだように
美しくシャープだったり、
ある人は、
いつも口角がほほ笑んでいたり、
また、ある人は、
耳たぶが上等な和菓子のようで、
また、ある人は、
左右の肩のラインが
気持ちよく平行線。

人をほめるのが好きだ。
少しクセがあったり、
雰囲気のある、
なかなか気付けそうにない、
そして、
その人のボトルにしかない、
オリジナルな香りのような、
そんな部分を、
みつける事が、
大好きだ。

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories      "3秒間のimpression”

ひとを見る時、
どれくらい時間をとめますか?
ひとに見られる時、
どれくらい時間をとめられますか?

ある男性が、
知らない女性が
3秒間見つめたときには、
必ず自分に気がある証拠と、
自信満々に、
話していた。

なるほど、3秒間…
以外に長い3秒間…

3秒間、止まる視線で
視つめられたいものである。

もちろん、
素敵だと思われて。




2010年10月5日火曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories      ” 蜜月の臨月”



ある年の3月1日から、
4月1日までの一ヶ月間は
まったく仕事は何もせず、
社会人になってから、
はじめての長い休暇をとった。

毎日お昼頃に起きては、
朝と昼をかねて、
ゆっくりと食事をし、
時には映画をみたり、
時には散歩をしたり、
時には本を読み、
時には買い物にでかけ、
時には何もせず、
だらだらと、
一日中家にいたりした。

夜中に夜の街をドライブに出かけ
気分をかえて、
北山を走ったり、
嵯峨野に行ったり、
東山を走ったり。

眠る時には、
毎日心臓の鼓動を
三人分、平行に並べて。

そして、一ヶ月の間
一度も自分で、自分の背中を
洗うことはなかった。

ある年の4月1日、
蜜月の甘い蜜を
十分に吸った女の子が
私の中から、解き放たれた。

思い出すと、
いつも、
胸が、じんとして、
いつも、
心が、満たされる、
こんな蜜月を、
きっと、もう、
あじわうことはないだろう。

2010年10月1日金曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories       ”このみ”



顔のパーツが直線的である。

特に鼻が重要。

小鼻が丸くない事。

指先が繊細でなくとも、
動きが繊細である事。

耳の後ろの匂いが
自分にあう事。

さわやかすぎない事。

アドリブに強い事。

食事に行ったら、
そこのオススメを注文する事。

食が太い事。

そう、決して大食漢ではなく。
太い事。

味にうるさい事。

口をあけて眠らない事。

涙もろくない事。

怒るととても、恐い事。

間は良いが、
調子は良くない事。


知らない事を、
あたたかく、教えてくれる事。

中年の域に入った私に、

とうとうと、人間とは、

と、といてくれる事。

理論と知識と、

今までの生き様において、

総合的に、

人間とは、

と、

といてくれる事。


そして、ふんわりと
あたたかい事。

触りたい、
近づきたい、
ではなく、


話しが聞きたい、 

そんな人。

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories       ”美しいひと”



以前から、ずっと気になっていた
とても美しい人がいて、
その人が載っている美術雑誌を
かれこれ3年程前から
大事にしてきた。

ぞっとするほど、美しく
みつめられたらきっと、
息がとまってしまうだろう。

昔話にでてくる雪女のようでもあり、
また、遠くはなれた国からやってきた
西洋の人形のようでもあり、
また、海の底から泳ぎついた人魚のようにもみえる
美しい人。

重圧感があり、凛としていて、
血と骨がしっかりとつまったような
美しい人。

その美しい人をテレビで拝見する機会が
やっとめぐってきた。
私は、手帳に赤で小さく印をつけて
密かにその時を待った。

息をするその美しい人の
ひとつに束ねた髪のななめ後ろ姿に
息が止まった瞬間があった。

耳の上からうなじに
綺麗に弧を描いた黒の曲線。
美しい人の秘密の美しさを
発見したような感動だった。

見つめられなくとも
こっそりと、
後ろからみつめただけで
息が止まる程の
美しさだった。

2010年8月9日月曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories      "その人だけのメイクアップマニュアル”



もともと若い頃から、
右手の具合が悪かった母だが、
主婦業はしっかりこなし、
リハビリをかねて通った洋裁学校での技術を活かして、
私達姉妹の幼い頃の洋服は、
ほとんど母の手作りだった。

そんな母もどんどん歳をとるにつれ、
今はかなり右手の不自由さに拍車がかかってきた。

先日、一緒に小旅行をする事になり、
身支度を整えている母をみると、鏡も見ず、
おぼつかない右手でメイクをしている。

手早く、的をえた手捌き。

数分間で、 
あっという間に、
いつもの母の顔になっていた。

鏡も見ずに、あっという間。

理屈付きのテクニックなんか、いらない。
最新アイテムも、
ましてやマニュアルなんて、
もってのほか。

そう、何にもいらない。
何もなくて、それでいいのだ。

長い年月の間に、
人生とともに歩んできた、
その人だけのメイクアップマニュアルが、
しっかり完成しているのだ。

私が教えるような事は、
そう、
きっと、
なにひとつないのだ。

2010年8月8日日曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories      "小説 恋愛物語”



今までの視線とは、
確実に違っていたから、
きっとまた、
すぐに逢いたくなったのだ。

かなり不埒な出会いであったにも関わらず、
これから体験できるであろう
様々な刺激的な出来事を予感させる、
そんな人であった。

案の定、
三度めのデートでプロポーズされ、
私の未来は、生活も仕事も含め、
今までの想定をはるかに超えて、
とてつもなく広がりそうな予感でいっぱいだった。

もっと大きな舞台でのびのびと、
精一杯羽を広げて、
羽ばたいてゆくのだ。

自分の夢を大きくふくらませて、
挑戦していくのだ。

この人が私に、
素晴らしく耕かせる土壌を
与えてくれるのだ。

いくつもの、お決まりの事柄や、
乗り越えなければならない試練などはそっちのけで、
ただただ、物語は進行していった。

そして、
物語は、いつかは終わる。

叶わなかった夢を、
私は泣いて終結し、
その人は、
拳で壁を叩きながら、
悔しそうな言葉を発しながら、
終結した。

夢だけをみて、
自分だけをみて、
前を向いていた私は、

運命だと思っていたその人の、
嗚咽とともに発した、
言葉の意味も全くわからず、
ただ呆然とたっていた。

文化も
言葉も違うその人の、
何も学ぼうとせず、
最後の心の叫びであったがゆえの
母国語すら、
全く理解できずに、

何に挑戦しようとしていたんだろう。
どんな成功を、
手に入れようとしていたんだろう。


恋愛物語。
そう、これは単なる物語。

稚拙で何の努力もない、
ただの
恋愛物語。

2010年8月7日土曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories      "メイアップとクッキング”



材料を吟味し、道具を揃える。
場所を整え、段取りを組み、
位置付けと導線をセッティングする。

材料をどのように切るのか、
どの工程を先にするのか、
同時進行はあるのか、
頭の中で整理する。 
   
調味料を用意し、ウォーミングアップ。
     
さぁ、スタート!

今日も美味しい料理を作ろう!          

毎日、毎日、
似たような事の繰り返しかもしれないけれど、
ちょっとした違いで
結果がかわる。

マンネリにならないように、
退屈しないように、
いつも新鮮な気持ちで。

そして、二つのとっても大切な事。

それは、気合いと、

そして… 愛。

同じような事でも
グッドタイミング!があるかなしで、

同じような事でも
愛があるかなしで、
大きな違いがあるように 思う。

ね、ちがいますよね?

一応、家庭人として、
主婦業もしなければいけない私であるが、
その中で一番好きな事は、料理である。

メイクちゃんとクック君は、私にとって、似た者同士だ。
メイクちゃんにもクック君にも、いつも愛を降り注ぎたい。

"ラブ♡メイクアップ&クッキング ゛

2010年8月6日金曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories       "メイクアップエクスタシー”



指でクリームをぬりこむ。
先だけを使わずに、
第二関節までをできるだけしならせて、
滑らかに滑らせる。

スポンジは、凹凸にあわせて、
引いたり、
たたいたり、
時には少しねじったり。

バウダーを含ませたふわふわパフで、
皮膚を包みながら
抱きすくめる。

眉のタッチは、
手首にスナップを効かせて、
タッピング。

まぶたの上や
頬の上は、
鞣すように均一に、
極上のブラシを往復させる。   

唇の弾力に、
決して逆らわせない平筆には、
スィートな〇〇〇を。

        
その人を労い、
慈しみ、
包み込み、

そして導いた後に、解き放たれる
メイクアップエクスタシー。

とにかく溶けそうに熱い夏…。

少々官能的に。

たまにはね。

いやん。

2010年6月11日金曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories       マンホールチルドレン”


以前ドキュメンタリーで、
モンゴルでの極貧生活を送る
マンホールチルドレンが放映されていた。
貧富の差が激しいなか、親がいない子供、
田舎での貧しい生活から脱出してきた子供、
親子共々ずっとマンホールで生活している人たち・・・。
あまりに寒い土地柄、路上生活ができないため、
生活のすべてをマンホールの中で行い、
生きている人たちのドキュメンタリーだった。

マンホールの中で子供達十数人が、
肩を寄せ合い眠っている姿は、
何と表現してよいのか・・・・。
その中で、当時12〜3歳の一人の少女を、
テレビは何年も追い続け、
少女が大人になり、結婚し、出産し、
(もちろんマンホールの中で)
別れがあり、酒におぼれ、
でも、自分の与えられた運命を
懸命に生きる姿が映し出されていて、
深い感慨をおぼえた番組であった。

当然、物乞いをしたり、
ゴミをあさって、食料になるものを
さがすような日々の生活なのだが、
とある日、ホテルのゴミ処理場で、
カラカラになった薄っぺらい石けんと、
リップクリームを見つけた時の少女の表情が、
忘れられない。
カサカサに乾いた頬を真っ赤に染めて、
誇らしげに、他の少女に自慢気にみせていた。

毎日お腹を空かせているはずなのに、
残飯を見つけた時よりも、
とても
嬉しそうだった。

私が愛読している著書に
「小林秀雄 美を求める心」がある。
人間が生きてゆくとき、
衣食住は、最も大切なものであろう。
美は衣食住の後にくるもの、
衣食住がたりているからこその、
求めるものと思っていたが、
美とは人間が本能として求めるもの。
どんな時も
理解したり、されたり、ではなく、
感じるもの。
感じて、満たすものなのだ。

今日も私は、何らかの「美」を提供して
生きている。

これからも、
人の心にあたたかく、
はたらきかける「美」を
追求していきたい。

本能が求める「美」を
真摯にうけとめて
伝えていきたい。

2010年6月10日木曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories      "イマジネーションのすすめ”


ある朝テレビをつけると、テレビ局のアナウンサーが、
小学校で物語を朗読する授業を担当する特集をしていた。
小学生達が体育座りをして、
目をキラキラさせながら、
熱心に聞いている姿がとても印象的だった。
その後それぞれに、朗読で聞いた話しを想像して
絵を描かせる場面があるのだが、
皆が、イメージした絵を思い思いに描き、
とても素晴らしいものだった。

感動した、
なんだかわからないけれど、
泣けてきた。

想像する事、
みえなくても、みなくても。

ビジュアルが大切で、
ビジュアルで判断する事が多い時代の中、
イマジネーションを働かせる力をも、
もっともっと身につけなければ。

想像する事は、
きっと…創造につながる。

自分のこれからをイメージする事。
やりたい事をイメージする事。

時には瞳をとじて、
ゆっくりと心にといかけながら、
イメージをはばたかせなければ。

そういえば、私が幼少の頃、
とても寝付きの悪い子で、
山積みの童話を読まされて大変だったという話を
母には、何度も聞かされた。
今となっては、あまく、あたたかく
ありがたい昔話である。

ちなみに我が家では、わたし流朗読を
娘が幼少の頃に、何度も試みた。

一般的な童話、いわゆるアンデルセンや、イソップ、グリムなどを
関西弁バージョンで行うものである。
これがまた、むちゃくちゃうける!
娘が“ママもうやめて〜っ!”と笑い転げる姿をみて、
こんなに幼くても、死ぬ程に笑う事があるのだと
小さな発見をしたくらいである。

案の定、寝かしつけるための朗読は、
興奮して、より寝付けない朗読となり、
最終的には、二人そろって夫に叱られ、
イメージするひとときなど、もちろんなし…
だったように思う。

もう、ホントに、だめな親です…。
テレビをみて感動する前に、
もっと、自分を律しないと。
本当に。

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories       "rainy season ランジェリー”



そろそろ梅雨いりしそうな気配だが、いつもこの頃になると
下着の事が気になってくる。
とにかく、昔から背中のみに汗が集中して、
とても嫌な気分になる。
背中に汗がべっとりというのは、気分だけでなく見た目にも悪く、
湿度が高い季節になると、
とにかくどうやって汗ジミを克服しようかと、
ずっと考えてきた。

一応女性という立場から、
ブラジャーは必須で、
その上に背中部分の汗を
しっかりと吸収するシャツを着用するのは、
もう、想像するだけでも暑苦しい。
オシャレにキャミソールを着たいのだが、
キャミソールなるものはたいがい背中があいている。

かれこれ20年くらい前から、
背中はあって、前は広く開き、
できれば肩ひもは細いものがあったらいいなと、
思い続けてきた。
特に上半身の下着においては、肩ひもの太さが大きくイメージを左右する。
このような一個人の“あったら、いいな”商品は、
以外と専門大手メーカーよりも
通販メーカーから早く出現するように思える。
何年か前から、私が希望するような下着が、
通販でお目見えするようになった。
“嬉しい!”早速購入、着用で、
背中の汗ジミとおさらばと思いきや、
やたらとこの手の商品が、どんどんと増えてきた。
素材もよりよくなり、
今は逆に専門大手メーカーのものの方が、
クオリティやデザイン性全てがとっても、よいような…。
やはり商品化する事が決まれば、
様々の事に力を入れて、“餅は餅屋”を発揮するのか…。

そんな中、通販のカタログをみて、また、びっくり。
今度は汗ジミ対策に、
下着の両脇からひもをはずせば、
服を脱がずとも下着自体をさっと取り外せる商品が載っていた。
なるほど。
なんとかして汗と共存するのではなく、
簡単に着替える事での爽快感。
これに勝る気持ちよさはない。
けれど汗ジミのついた下着を
そのまま持っているのもちょっと、と思ったり。
来年あたりは、着替えて使い捨てる
シート的な下着が登場かも?と思っている。

2010年4月4日日曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories       "大人のうふふんリップグロス”


リップグロスをつけるのは、あたりまえという時代になり、
実に様々な種類のグロスが、いろんなメーカーから売り出されている。
職業柄いつもいろんなタイプを使用し、比較してみるのであるが、
たくさんある中で、なかなかこれ!といったものは、数少ない。
仕事においては、内容によってぴったりくるものを使用するのであるが、
個人的には、
① 重すぎない、軽すぎないもの
② パーリィでないもの
③ ラメが入っていないもの
④ メタリックでないもの
⑤ 点在パールがはいっていないもの
が、お気に入りだ。

いわゆる透明感があり、
イチゴジャムの上澄みに少し色がついたような、
重く光らず、かといって垂れずに、
幼い子供の唇の上に砂糖水をぬったような、
ゴージャスというよりも、
大人の女性が、
思わず“うふふん♡”なんていう気持ちになるような、
そんなグロスが、一番好きだ。

久々にそんなグロスを、み〜つけました。
と〜っても幸せな気分です!
今度のレッスンで、お披露目します。
大人のうふふん♡という気持ちを、
桜の花びらにのせて、
リップグロスでお届けします

2010年4月1日木曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories       "うなはだけや”



う・・・うるおい
な・・・なめらか
は・・・はり
だ・・・だんりょく
け・・・血色がよい
や・・・やわらかい

はじめて皮膚理論を学んだ時に教わった、
美しい肌の条件です。
今、この中でも私が一番恋い焦がれるのは、
「は」である。

11歳になる娘の寝顔をみていると、「すごいっ!」「は!」。
あたりまえだが、よだれをたらしていても、「は」がある!
風邪で熱っぽくても、「は」がある!
寝てても「は」、起きてても「は」、どんな時も「は」「は」「は」!

なつかしい・・・嫌になるけど、なつかしく思う自分が
何とも、感慨深いです・・・。

2010年3月30日火曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories      "春の風”



春一番が吹く頃になると思い出すのは、人生初めて大きな挫折を味わって,
思い切りへこみながら、阪神高速を走った事だ。
当時、大阪福島区に住んでいた私は、
テレビもなく、エアコンもなく、
かなり簡素な引っ越し道具一式を、
小さなトラックに積み込み、一路京都の実家へと向かっていた。
春のあたたかい風に吹かれながら、
心の中は、とてつもなく深く青いまま、
少々傷つき、少々怒り、少々投げやりな気持ちになって、
これからの未来が、不安で不安でいっぱいだった。
何かしらの結果もなく、やり遂げた充実感もなく、
空洞のような気持ちになって、情けなくてたまらなかった。
両親が大反対の中、
勝手気ままに何の相談もせず、今の仕事を選んだ私は、
いろいろな事が重なり、東京大阪へと転々としたあげく、
一旦職を失い、お金もなく、
最後は引っ越し道具一式と、行き場のない気持ちを、
父親が借りてきた小さなトラックに乗せて帰京したのだった。
阪神高速をとばしながら、
父親も私も何一つ言葉を交わさなかった。
いっさい口をきかず実家までたどり着いたので、
逆に三十年近くたった今でも、
なぜか、しっかりと深く心に刻まれている。

ちょうど今頃、春の風が吹く頃に、
勝手な娘に何一つ言葉を交わさなかった父親と、
阪神高速から見た景色と、
決して泣かずに、ただ気持ちだけが泣いていた自分が、
とてもせつなくよみがえる。
様々に、与えてもらったものよりも、
無口だった父親の思い出が、
心に深く、今もずっとしみている。

2010年2月26日金曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories      "乳首のゆくえ"


私は、女性の乳房が大好きだ。
童話でお気に入りは、アンデルセンの人魚姫だった。
アニメでは魔法のマコちゃん。(知っていますか?)
幼い頃の私にとって、半身ヌードの美しい女性達は心からの憧れだった。
何といっても女性の乳房は、曲線の有機的な美しいデザインで、勝手に、ボディ・ヌーヴォーと命名している。
乳首から、アンダーバストに至る曲線が最も大切だと感じている私であるが、この乳首の位置がなかなか難しい。
ゴールデンバランスは、ロバートメイプルソープ氏のヌード写真のモデルであると、30年程前に購入し、ずっと大切に飾ってある。

以前ある企業で、一緒に顧問をしていた女性下着のプロだった先生が、
「奥田さん、乳首の位置はね、ブラジャーにおさめるときの工夫次第でかわってくるのよ。」と教授を受け(ホンマかいな)、先生のおっしゃるとおりに日々努力して、ブラジャーの中におさめていた、若かりし日の自分自身がなつかしい。

その時の成果が、今はどうなっているかはふれずして、
私の乳房も人並みの歴史を刻んできた。
時には、野生の風が吹き、時には母性の塊であった。

そして、これからは、どんな歴史を刻むのか。
こだわりの乳首のゆくえは、どこえやら。

2010年2月25日木曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories      “キスからはじまる”


初めてキスしたのはいつですか?
よく人は、キスの味は?なんて表現をするけれど、味といえば、やっぱり爽やかな柑橘系の香りを想う人が多いのでしょうか。
しかしながら気持ちの味は、心の高揚とともにもっとちがう表現になるような.....。


“キス”はどんどん繰り返されて、“口づけ”に。

そして、頃合いよく“チュー”になり、

きっと、もう一度“口づけ”に。

もしかすると、ちょっぴりせつない”接吻”になるのかも。


途中の“チュー”をこっそり満喫している今の私には、
これからの、キスの進化が、密やかな楽しみです。

2010年2月11日木曜日

京都OHBL奥田浩子のBeauty Memories      ”最期のリップ”



「浩ちゃん、おばあちゃんのこと綺麗にしてくれて、ありがとう。さっき誰もいない時に、こっそりキスしといたんや。」と私の耳元で、祖父がそっとささやいた。胸がじんとなり、悲しみがこみ上げた。

今から26年ほど前、私の母方の祖母が亡くなったときの思い出である。
ちょうど私がこの仕事を初めて少したった頃で、亡くなった祖母の化粧を頼まれた時であった。
急に化粧をすることになったので、きちんとした道具もなく、祖母が愛用していた昔ながらの化粧台から、ごそごそと取り出した中に、ほこりにまみれた口紅が一本出てきた。自分としてもあまり記憶にはなかったが、きっと祖母がよく使っていたのであろうと、その口紅を祖母の唇にのせ、祖母はあの世へ旅立って逝った。

今思えば、その口紅の色は、とても祖母によく似合っていた色だったように思う。きっと、その口紅の色をみて、美しかった祖母の思い出がよみがえり、祖父も気持ちが一瞬若返ったのだろうと、なんともあたたかく、せつない気持ちになった事を覚えている。

また、今から10年ほど前、仕事先で大変お世話になった才色兼備の女性マネージャーが39歳という若さでこの世を去るという、大変悲しい出来事があった。お葬式に参列させていただき、横たわる彼女に最期のお別れをしようとした時、彩やかなフューシャピンクの色が目にとびこんできた。
いつも彼女が愛用していた口紅が美しく唇を染めており、その色を見た瞬間、号泣したのを覚えている。
私は心の中で、何度も何度も「よかったね、一番きれいにみえる色をつけてもらって、本当によかったね。」と、くり返した。

色をあつかう仕事をとおして、いつも色と人間の関係は、とても大切だと感じている。自分自身を美しく、自分らしく、彩ってくれる色とはどんな存在なのか?
すべてに色がある世界に生きて、どのようにつきあっていくべきなのか?

私もあの世へ旅立つときには、私らしい色を身にまとって逝きたいものである。
最期の口紅が、私らしくみえる色であり、また、看とってくれた人たちが、私をそのままに思い出してくれるような色であってほしい。

自分自身の人生が
自分らしく終結できる色として。
そう、最期の色として。